鰻や穴子が和食界のスターになり得たのは、味淋の誕生があったからこそなのではないかと
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病院の超音波検査でお腹にゼリーを塗られながら、僕は考えていた。 鰻や穴子が和食界のスターになり得たのは、味淋の誕生があったからこそなのではないかと。まずは『蒲(がま)の穂』の画像をご覧下さい
鰻は江戸前期から中期の屋台に於いて、ぶつ切りにされ、思い切り串に刺して焼かれていた。
その姿が『蒲(がま)の穂』に似ているので『蒲焼き』という名前で呼ばれるようになったのだという。
でも、この形だとタレを塗れども、そのタレが皮で滑って垂れてしまう。であるからしてお塩、もしくは味噌か酢味噌を塗るしかなかったのだと思う。
この調理法だと、鰻の芯まで火を通してから、味噌を一番最後に塗ると考えるのが自然だ。
しかし、こんな泥臭そうな屋台料理は滋養にはなれど、お酒のハカがいく人気メニューになるとは思えない。
そこで江戸の職人は、鰻を背開きにし、関西の職人は腹側を開いて串を打つ。
タレを塗る表面積を増やし、火を通しやすい蒲焼き形態を完成させたのだった。
僕も自分のお腹を2回開いたので鰻の気持だけは痛いほど分かるのだけど、背開きと腹開きでは脂の残り方が違うそうである。
僕がお腹にゼリーを塗られながら、まさか鰻の【たれ】の事を考えているなんて、
このエコー検査の先生は【つゆ】も気づかずにいるに違いない。
話の下げ方を落語っぽくして、次回に続くのであった。