広島の酒都、西条で調味料としての日本酒をふんだんに使った賀茂鶴酒造さまの『元祖 美酒鍋』を頂く。
広島の酒都、西条で調味料としての日本酒をふんだんに使った賀茂鶴酒造さまの『元祖 美酒鍋』を頂く。
それを頂きながら去来する想い出の数々は、とても懐かしい食の原体験であった。
僕は小学校まで家族7人で暮らしていた。
冬季に学校から帰宅すると、母は毎日『お煮しめ』の大鍋を石油ストーブの上で温めていてくれる。
姉兄と僕は、夕食までの時間に『お煮しめ』の蓋を幾度も開けては、大根や玉子、しらたきなんかを、おやつ代わりに食べていた。
僕らはそれを『お煮しめ』と呼んでいたのだが、今思えばあれは濃口醤油と日本酒だけで味付けした『黒いおでん』であった。
毎日毎日、母がタネを追加しては醤油と日本酒を継ぎ足しして行くので凄い量の日本酒が調味料として減っていくのである。
一週間もあれば飲み手なしに、一升瓶のお酒がほとんどなくなっていたのを覚えている。
あの調味料として、ふんだんに使われた日本酒はどこへ行ったのか?
いつも台所の下に常備されて、僕らのご飯のおかずに染み込んでいった一升瓶のお酒。
我が家ですき焼きと称していた『豚の肉鍋』。そして秋待望の風物詩である『いくらの醤油漬け』。
それら家族団欒の味付けにも、一升瓶のお酒は一役買っていた。あの調味料としての日本酒はどこへ消えたのか?
その一升瓶は『ほぼ飲む専用』になって冷やすようになったが、冷蔵庫にも居場所がないまま今に至っている。
冷蔵庫の一番下段(野菜室)にキャベツを枕に、ナナメに横たわる我が家の一升瓶は、この夏もトマトの入った袋を掛け布団にして居心地悪く冷やされる事であろう。
僕は、やっとありついた本場の『美酒鍋』を前に心躍らせた。
まずは油でお肉を炒める。そこにニンニクを投入。。。
ん?ん?いや、ちょっと待て。
よく考えると『美酒鍋』を自分で作っている時点で、これが本当の味と言えるのだろうか?
これは『本場で自分が作る自分の味の美酒鍋』ではないだろうか?
しまった!また明日『本場で本場の料理人が作る本当の美酒鍋』を食べねばなるまい。
僕は『つまりは、その様な止むに止まれぬ事情で帰るのが少し遅くなる』という旨の一報を自宅に入れた。
そしてその結果、もう一つ気づいた。
それは!
なんやかんや言い訳を考えて全然帰る気がない下心が、すでに家族にはバレバレな事であった。