僕は3月に広島県西条にいた。
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僕は3月に広島県西条にいた。
そしてその日の出来事を、遠い昔のことの様に思い起こしている。
その日、僕は朝一番に賀茂泉酒造さまの酒泉館で【飲み比べセットー五種ー】を前にしていた。
御酒と一緒に頂く『奈良漬』や『漬け込み梅』は、酒肴の枠を超えた蔵の精気を漂わせている。
と、そこへ『少しご一緒しても宜しいですか？』と、背後から物腰柔らかな男性の方が僕に声をかけ、隣の椅子に腰掛けた。
この状況、この囁きの感じからいって、この『宜しいですか？』の声の主は99.99%の確率で蔵元の方である。
三代目の父も、よくそういう風にお客様に声をかけていたのでよく分かるのである。
（但し、朝から駅構内でカップ酒を片手に座り込んでいた場合、背後から声をかける蔵元は0.001%くらいなので場所柄とは実に、おっかないものである。）
温厚にして、円熟のコクを滲ませるその紳士は、賀茂泉酒造の専務さまであった。
ここ西条での師は『蔵を守るという事は、風土をつくる山、水を守ること。
それは米作りに大切な環境を守るという事にもなるのだ』と教えて下さった。
そして僕と同じ次男坊という立場からも、含蓄ある教訓を持って、有意義な人生のアドバイスをして下さった。
僕にとっては夢中で質問を繰り返した、あっという間のひとときだった。
飲んだ記憶もないのに五種のお酒も、体内に染み込んでいった。
今振り返ると、この日のモーニング（利き酒）セットはカフェインの比ではない興奮作用がセット内容になっていたのであった。